八路軍とは、一言で言うと共産党紅軍のことですが、この八路軍西安弁事処(べんじしょ)は西安における中国共産党の駐在員事務所みたいな所でした。
国民党は、日本軍が満州に傀儡政府を打ち立てた後も、抗日戦争よりも共産党勢力撲滅に躍起になっていました。
当時中国人は風呂に入る習慣があったかどうか分かりませんが、
世界遺産にも指定されている秦始皇帝のお墓です。
ただの丘なんですが、
昔、まだ若かった頃は、肝炎という病気がどういうものか知らなかったので、怖いもの知らずでらよく夜市(屋台街)で食べたものでした。
拓本用の石碑が林のように建っていることから碑林と呼ばれるようです。
94年夏休み、西安に行ったとき、
小雁塔のそばで食べたしなびたトウモロコシの味が忘れられません。
西安(長安)は、三蔵法師(玄奘三蔵。602?664年)が仏典を求めて天竺に行った際の出発点であり、終着点でもあります。
そのためか、仏典に関する建物なんかが結構残っております。
西安(長安)と聞けば、大阪出身の私的には、京都・奈良が真似た古都ということもあり、非常に親近感を覚えますが、
中国のかつての首都である長安が、今の西安ですが
(厳密には、西安郊外の咸陽という街の近く)、
そこに2200年前にわずか15年という短命の王朝がありました。
それが秦です。
秦は、古代中国で初めて中国全土を統一した王朝で、その偉業をなした皇帝が、始皇帝です。
始皇帝は、ひたすら死を恐れ、不老不死の薬を求めてはるばる日本にも遣いを出したことがあるとのことです。
西安郊外には、その始皇帝の墓(始皇帝陵)がありますが、そのすぐそばにこの兵馬俑があります。
兵馬俑は、皇帝と一緒に生き埋めにされる人の代わりに作られたという説がありますが、いくら何でも作りすぎ!と思います。
1970年代、近くの農民が土地を耕していたときに偶然発見されたそうです。