中国で見つけたガラクタ 第二章

1986年中国初上陸以降、中国や台湾で発見した「ガラクタ」の様な出来事を紹介するBLOGの第二章です。

国境の町

1972年9月日中の国交が回復しましたが、日本から中国への直行便の就航は、2年後の1974年9月でした。

それまでは香港経由でしか中国に入国することが出来ませんでした。
もちろんこの時期は、文化大革命のまっただ中でしたので、中国に仕事をしにいく勇気のある人は少なかったと思いますが。
私が初めて中国に行った1986年当時でも、成田→北京便は本数も少なく、ディスカウントチケットもなかったと記憶しています。
ですので、中国ビジネスの先駆者や、貧乏旅行者は、一旦香港に行って、香港から中国入りするのがそれまでのパターンでした。

当時は香港から中国に入るには、香港から中国側の羅湖に歩いて国境をわたるしかありませんでした。初めて中国に入る時はまさに感動の一瞬でした。

はっきり覚えていませんが、くらい道を歩いて行ったような気がします。
そして、深セン側に入った瞬間にまさに別世界が待っていました。
その格差はあまりに大きく、人為的に作られた数十メートルの国境を隔てただけで、こんなにも違うものかと驚嘆しました。
(当時の自分も貧乏学生旅行でみすぼらしかったですので、中国側とあまり差はなかったかもしれません)

それが今ではこんな立派な建物に変わっています。
羅湖

今回ここに入ることはありませんでしたが、今でも歩いて国境を渡るんだと思います。
ただこの国境を通っても、以前の様に国が変わるんだという意識はあまり持たないかもしれません。

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