中国で見つけたガラクタ 第二章

1986年中国初上陸以降、中国や台湾で発見した「ガラクタ」の様な出来事を紹介するBLOGの第二章です。

純愛を語るおやじ

今回は、Aさんに登場してもらいます。
本名は「二(に)」で始まるんですが、中国語が下手で、自分を「アル●●」と呼んでおりました。正しいピンインでしたら、Eさんですが敢えてAさんとします。

Aさんは、
私が働いていた上海事務所スタッフをサポートするために、半年ほど上海に出入りしていました。

日本では結構真面目にお仕事をしていた様ですが、仕事にやりがいがなかったらしく、上司やお客様から怒られ、部下から相手にされない、いわゆるうだつの上がらないただのおじさんでした。

上海に出張するきっかけも突然で、愛媛で働いていたのが、東京で火を噴いていたプロジェクトに一本釣りで引っ張られ、そのプロジェクトに関係していた上海に流れてきた次第です。

ところが、上海に来られると、水を得た魚と言うんでしょうか、うだつが上がらないどころか、それはそれは楽しそうに仕事をしておりました。

やはり中国に来ると、「日本から派遣された専門家」なので、スタッフからも尊敬されるし、頼られます。日本では部下にすら見向きもされなかったのが、上海では神様に近い扱いです。

さらに夜の街に繰り出すと、日本では女のことに相手にされたことがないのに、「もてる、もてる。花花公子状態」と勘違いし、元気はつらつに拍車が掛かりました。

元気はつらつAさんは、昼間は尊敬され、夜はもてていましたが(と勘違いしていました)、本当に元気でした。
少なくとも滞在中週に5日はSという飲み屋に行き、1時の閉店まで楽しみ、その後もお気に入りの小姐とアフターを楽しんでいました。どれだけ遅くとも、昼間の仕事に穴を空けることなく、健気に仕事をしておりました。

上海に出入りしていつ頃からかわかりませんが、Y子という名前のお気に入りの彼女ができたようです。本人当時45歳で、彼女は19歳。確かにこういったカップルは上海では珍しくありませんでしたが、こんなに見事にはまる人が身近にいて、私自身は楽しませてもらいました。

それからほぼ毎日デートを重ね、日本に帰国中も毎晩電話をし、時々おのろけメールを送信してきました。

  ▼おのろけメールの一部です▼

| 最初の頃に外灘とか南京東路を手をつないで
| 雨降る中、あいあい傘で、歩いているとき、
| 「ロマンチックですね。」とか、言われ、「そうね」と答えたけど、
| 正直、その辺の飲み屋の女と同じと見てて、「どうせうまい
| こと言って、物を買わせたいんだろう。金が欲しいのだろう」
| 「ワザとらしいこと、言うなよな」と思っていました。
|
| ところが・・・
| ♪愛が生まれ日、その時に♪
|
| †何気なく、あれが好き、とか、あれをしたいとか言ったことを
|  正確に覚えていて、近いうちに、
|  「あなた、○○好きでしょう。だから、××へ行きましょう。」
|  などと私の好みに応じた提案をする。
|  (自分で言ったことを忘れていて焦ることも何度かあり)
| †自分の過去にとった写真集を見せながら、その当時の話とか
|  男と別れたことなど、イヤなこと言いにくい事を含め、何でも話す。
| †店の中とか、公園で座っているときとか、小首を私の肩に乗せ
|  つぶやくように、話しをする。あるいはじっと黙っている。
| †私の服装とかしぐさとか、感情の起伏をよく見ていて、
|  よく気を使う。自分の感想とかから「○○がいいです。」と言う。
| †物を買ってあげようとしても、高いものを求めず。自分で値切り、
|  時には、高いからとあきらめる。(→予算を知られたかも)
| †逆にお揃いのノートとかを、買ってくれる。
| †上海のカルフール(大型スーパー)に行ったとき、
|  私の押すカートの前を歩きながら、食料品・雑貨を買うときに、
|  笑顔で何でも私に相談し、ダメだと言ったらホッペタを膨らますけど
|  直ぐに機嫌がなおる。その様子は、幸福感。
|  (まるで、新婚夫婦気取り)
|
| ゴメンなさい、またしても、ノロケに走ったようですね。
| でも、「愛に落ちた経緯」であることは確かです。
| 時系列順とか大きさは、順不同です。
|
| 大きいのは、†と†ですね。†も少し効いたパンチ。
| やはり、自分に強い関心を持ってくれて、
| それに、丁寧に対応しようとする姿が、目の前にあれば、
| 誰でも好きになるでしょう。
| 自分がこれだけ好きになるのだから、小Yにそれを返せば、
| 小Yももっと好きになってくれろだろうと、「やさしさ」として、
| 同じようなことを、返してやりました。
|
| それが、「あなた、やさしいです。」という本人の言葉になり、
| また、トリマキというか店の他の女の子(特に親しい子)
| に、小Yに対するやさしさを、見せておくことで、
| (女ですから、その子本人へも、やさしくすることを忘れず)
| 「あなた、やさしいのこと、○○も言っています。」
| となります。
| そんなとき、「あなたの方がもっとやさしいヨ」と返します。
| (少し、くすぐったいけど)
|
| そうしていくことが、自分としても愛が深まるのを実感します。
|
| 私の場合、やさしさのアプローチは,小Yからのジャブ先制
| があったと思います。
| でも、どちらが先かとはあまり問題でなく、少しでもその土壌が
| あれば、与えれば返され、返せばまた与えられるでしょう。
|

なめとんか!と思いながら、いつも拝読させて頂いておりました。

しかし、幸せは長く続きません。プロジェクトも収束方向になり、Aさんの上海サポートは終わりになりました。最後の出張では、仕事に来ているのか彼女に会いに来ているのかわからないほど、夜行性で動いていました。


帰国後も、一途なAさんは毎日の様にTELをしていました。彼女からも結構TELがあったそうです。
で、彼女に電話代としてお金を渡して欲しいとか、ものを送りたいので、住所を聞いてくれとかいろいろとサポートをさせてもらいました。

> Y子に、とりあえず1000元渡してやろうと思います。
> 15,000円を日本円で、M本の口座に振込み、
> それを踏まえて、14.1円/元とすると、1063.8元ですが、
> 端数は手数料として、1000元をY子に渡すようにできますか?
> できる場合、振込み口座を教えてください。


翌年、正月休みを取ったAさんは、たまったマイレージで上海にやってきました。これも典型的なおじさんですが、彼女に貢ぐために私費で出張して来ました。何故か私も呼ばれて一緒に食事をしましたが、本当に楽しそうなAさんでした。

ただこのおじさんの恋もここまででした。こんなに楽しそうにしていたのに...
a

日本に戻ったら、また元のうだつの上がらないおじさんに戻ってしまいました。

ちゃんちゃん

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