三拍子そろったおやじ
- 第二の故郷・上海 > 上海おやじ列伝
- by 多拿花
- 2005.02.08 Tuesday 12:43
私は、1996年?2002年まで上海におりましたが、98年あたりから日本人出張者・駐在員が急激に増加し始め、にわか中国専門家が横行するようになりました。
同時に、なぜか上海が大好きになるおやじ達も現れ、私の回りではいつも評判になっておりました。
若干内輪向けの内容ですが、「上海おやじ列伝」を始めてみようと思います。
同時に、なぜか上海が大好きになるおやじ達も現れ、私の回りではいつも評判になっておりました。
若干内輪向けの内容ですが、「上海おやじ列伝」を始めてみようと思います。
その人のはBさんと言います。本当はKで始まるんですが、いつも「ばか●●●」と呼ばれていたので、Bさんとします。
Bさんは、上海でも少しはずれの知る人ぞ知る「中山北路803号」(ある事件で日本のニュースでも放送されたことがある)で3ヶ月ぽっきりの期限付きで出張してきました。
昼間は基本的にど暇で、特に問題なければ昼寝もできる職環境でしたが、回りはすべて不良傾向のある上海の公務員。本人は中国語ができないので、簡単な英語でしかコミュニケーションが使えません。昼間はとにかく体力を温存し、「5時から男」を絵にしたおやじでした。
どのような5時から男だったかというと、S(2号店)という飲み屋の小姐と毎晩同伴出勤し、閉店までその店で飲み、最後彼女を自宅まで送り届けるという生活を3ヶ月間続けました。
テーブルチャージ200元ぽっきりですが、ボトル一本500元を週に2?3本入れていたはずです。
帰りは、新錦江ホテルそば→浦東の彼女の家→本人ホテルは中山北路というルートで帰り、毎晩120元のタクシー代を払っていました。
当然土日はデートですが、彼女は花屋を開きたいという夢があったそうで、そのために資金援助もしたようです。
私が、日本からの出張者を対応するためにたまにBさんを誘うと「彼女から外食許可が取れれば行きます」と言われたりしました。
チョットふるい言葉ですが、アッシー・メッシー・ミツグ君の三拍子を兼ね備えたとってもすばらしいおじさんでした
Bさんに当時を振り返ってもらい、いろいろとインタビューすると、
仕事が楽で、基本的に皆から尊敬された(日本ではいつも怒られっぱなし)
優しくしてもらった、一緒に食事をしてもらった
プレゼントを喜んでくれた
健気に頑張る彼女の心に惹かれた
とのことです。
始めての海外出張で、日本語が話せない環境に放り込まれると、どうしても自分のこと話したくなります。その心の隙間に入り込まれると、あっという間に小姐の虜です。
真面目で一途なBさんは一生懸命でした。時々他の店に行き騒いでいましたが、心がとがめるのか、結局最後はいつもの店に迎えに行っていました。
一人で長期間出張するおじさんは危険です。必ず小姐マジックにやられます。
この人は本当に上海にはまったおやじだと心からそう思いました。
Bさんはこの3ヶ月間、ノルウェーの森やセカチューの様な純愛を経験し、本当に人生をやり直したいと真剣に考えたそうですが、3ヶ月という時間は短かった様です。残念ながら結婚の約束をする前に帰国となりました。
しかしその代償は大きかった様です。
Bさんは、3ヶ月の純愛のために160万円を使い、最後は家計にまで手を出し、帰国後クレジットカードの請求書から奥さんにばれたそうです。
ばれた後は、修羅場だったそうです。離婚寸前、家庭崩壊寸前、そして本当に刺されかけたそうです。
さすがに今ではそのような状態ではないそうですが、帰国して3年経ってもまだに関係が完全修復されておらず、飲み屋でクレジットカードを使えないそうです。
不幸中の幸いだったのは3ヶ月一回ぽっきりだったことです。
再び社命で上海3ヶ月に行くことになっていたら、Bさんは今頃、この世に居ないかもしれません。
その後、新宿で上海クラブに出入りする以外は、上海とは全く縁がなくなったそうです。
Bさんは、上海でも少しはずれの知る人ぞ知る「中山北路803号」(ある事件で日本のニュースでも放送されたことがある)で3ヶ月ぽっきりの期限付きで出張してきました。
昼間は基本的にど暇で、特に問題なければ昼寝もできる職環境でしたが、回りはすべて不良傾向のある上海の公務員。本人は中国語ができないので、簡単な英語でしかコミュニケーションが使えません。昼間はとにかく体力を温存し、「5時から男」を絵にしたおやじでした。
どのような5時から男だったかというと、S(2号店)という飲み屋の小姐と毎晩同伴出勤し、閉店までその店で飲み、最後彼女を自宅まで送り届けるという生活を3ヶ月間続けました。
テーブルチャージ200元ぽっきりですが、ボトル一本500元を週に2?3本入れていたはずです。
帰りは、新錦江ホテルそば→浦東の彼女の家→本人ホテルは中山北路というルートで帰り、毎晩120元のタクシー代を払っていました。
当然土日はデートですが、彼女は花屋を開きたいという夢があったそうで、そのために資金援助もしたようです。
私が、日本からの出張者を対応するためにたまにBさんを誘うと「彼女から外食許可が取れれば行きます」と言われたりしました。
チョットふるい言葉ですが、アッシー・メッシー・ミツグ君の三拍子を兼ね備えたとってもすばらしいおじさんでした
Bさんに当時を振り返ってもらい、いろいろとインタビューすると、
仕事が楽で、基本的に皆から尊敬された(日本ではいつも怒られっぱなし)
優しくしてもらった、一緒に食事をしてもらった
プレゼントを喜んでくれた
健気に頑張る彼女の心に惹かれた
とのことです。
始めての海外出張で、日本語が話せない環境に放り込まれると、どうしても自分のこと話したくなります。その心の隙間に入り込まれると、あっという間に小姐の虜です。
真面目で一途なBさんは一生懸命でした。時々他の店に行き騒いでいましたが、心がとがめるのか、結局最後はいつもの店に迎えに行っていました。
一人で長期間出張するおじさんは危険です。必ず小姐マジックにやられます。
この人は本当に上海にはまったおやじだと心からそう思いました。
Bさんはこの3ヶ月間、ノルウェーの森やセカチューの様な純愛を経験し、本当に人生をやり直したいと真剣に考えたそうですが、3ヶ月という時間は短かった様です。残念ながら結婚の約束をする前に帰国となりました。
しかしその代償は大きかった様です。
Bさんは、3ヶ月の純愛のために160万円を使い、最後は家計にまで手を出し、帰国後クレジットカードの請求書から奥さんにばれたそうです。
ばれた後は、修羅場だったそうです。離婚寸前、家庭崩壊寸前、そして本当に刺されかけたそうです。
さすがに今ではそのような状態ではないそうですが、帰国して3年経ってもまだに関係が完全修復されておらず、飲み屋でクレジットカードを使えないそうです。
不幸中の幸いだったのは3ヶ月一回ぽっきりだったことです。
再び社命で上海3ヶ月に行くことになっていたら、Bさんは今頃、この世に居ないかもしれません。
その後、新宿で上海クラブに出入りする以外は、上海とは全く縁がなくなったそうです。
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